二葉亭四迷「浮雲」を読む(6)

浮雲』を2冊持ち運ぶようになってからリュックが重たい。通勤の際はワークマンで買った大容量リュックに、財布、弁当、500ミリペットボトル、ノート、折り畳み傘、YCAの授業がある日は室内履きに加えて、空いた時間に読む本を入れている。それだけでもだいぶ重たいのに、そこへ『浮雲』を入れると、リュックを背負った時の負荷がだいぶ重たくなる。少しでも身体への負担を減らすためには荷物を減らさないといけないので、リュックに入れる本を『浮雲』だけにしようかと思う。

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 しかし、そうすると空いた時間に読む本が『浮雲』だけになってしまう。どの本を読みたいかはその時の気分によって変わる。まだ読み始めていないのに、特に読みたい気分でもないのに「浮雲」を読み始めてしまうのはよくない。そうと考えたら、リュックには『浮雲』に加えてあと1冊だけ本を入れるようにしようと思うが、どれを入れるかも非常に悩ましい。

 先日ブルトンの「ナジャ」を読み終えたばかりので、岩波文庫の『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』がいいか。ひさしぶりに『自然主義文学盛衰史』を紐解いたので、徳田秋声の『黴』もいい。それとも野間文芸新人賞が決まる前に「あなたの燃える左手で」を読まないと思うので「文藝 2023年夏季号」もいいかも。いや、サイズの大きい書籍は嵩張るか。こう考えていると荷物の準備が終わらない。

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 大体、本を持って行ったところで読まないで帰ることなんてよくあることだ。そう考えて本を持ち運ぶのはやめにしようとするのだが、出発の直前になって気持ち悪くなり、いつも荷物を増やしてしまう。それで結局1頁も読まないで帰宅する。無駄なことをしているようだが、できるだけモヤモヤとした気分を持たないようしたいのでこれでいいのかもしれない。

 それに、本をできるだけ身近なところにあるようにするのは、それだけでも自分にとって重要なことなのだ。「積読」なんて言葉が自虐的に使われるのをよく読むが、経済的にひどく追い込まれているのでなければ、本を買って近くに置いておくのはそれだけで一つの読書体験にもなると思う。読書はその1冊1冊だけで終わるものではなく、様々な文章と関連づけて読み続けていくことであり、そのようにして読んだ人だけの経験をつくることなのではないか。そのために、自分だけの図書館を作るようにして本を身近に置いておくのは間違いでない。「積読」も読まない本をリュックに入れてしまうのも間違ってないはずだ。

 結局『浮雲』と一緒に『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』を持って行った。そして、電車の中や、中華食堂一番館で注文した唐揚げ定食が届くまでの間に、「シュルレアリスム宣言」を読んだ。まだ読み始めたばかりだが、surrealの訳語である「超現実」はまだ一度しか使われていない。それよりも「ナジャ」にも表れた「不可思議」というのがブルトンにとってのキーワードなのかもしれない。

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 食事を終えた後は新宿バティオスで破壊ありがとう単独ライブを観た。長尺コント6本のライブだったが、どれも引き込まれるものばかりで、特に2本目に披露された「赤の他人」というコントが好みだった。